京都は竜安寺にある蹲踞に記された文字である。
Keiはこの言葉が好きで京都に行くたびに竜安寺には寄っている。
もちろん石庭も、虎の子渡しの逸話も好きなんですけどね。
ここで、見えない1石を心で見ながら俗世で生きる自分の傲慢な部分や現在おかれている状態、幸せさ、自己欲なんかを再確認します。
蹲踞を模した文鎮を持っていて、行けない時はそれを見て思いを馳せるんですね。
こういう精神的な話や己が野望なんかは自分の内に秘めていればいいのですが、ちょっといただけない映像を見てしまったもので。
漢字検定の大久保昇容疑者とその息子の浩容疑者が逮捕されまして。
しかもこの親子、海外逃亡を企てている可能性あったみたいで早く動いたみたい。
そして浩容疑者の過去コメントに『足るを知る』発言出てきて一人朝から憤慨していたからなんですね。
しかも1回使うだけでなく何度も様々な場面で言っている。
下記はプロデュース能力研究会の一昨年の報告の一部。
特定非営利法人であるが故、理想論とか、甘い戯れ事が許され、目的を定めて行動できるというものであるはず。
財団法人は特例財団法人であるが、民法の規定の元設立されている部分、一種の規範となる活動が望まれるものと思っている。
如何にも『自分の信念だ』としている部分に吐き気を覚える。
話によると漢字検定としての行動指針もそう沿っているらしいが。
話中に「余剰にを自己利益にするか・・・」とか間違っても言わないで欲しい。
いくら公益法人であろうとも、個人目的としてのビューが少しでもあるから付け上がってしまうのではないか、この不況下で利己に走ってはいけないよ。
実際横領着手のキッカケや意思実行者は大久保昇容疑者であろうと思われるのだが、もし浩容疑者が信念として本当に心に築いていれば、「親父、そんな強欲に流されるな」とでも言えただろうに。
子は親の背中を見て育つというが、漢字を生業とするこの業界で生きつつ、そういった肝心な『中身』の部分を伝えることはできなかった結果かな、と。
親を見て何を学ぶか。
“我唯足るを知る”精神はそこには無かったね。
これ以上は唯の批判になるんで、あとは司法を見守ります。
Keiはこの言葉が好きで京都に行くたびに竜安寺には寄っている。
もちろん石庭も、虎の子渡しの逸話も好きなんですけどね。
ここで、見えない1石を心で見ながら俗世で生きる自分の傲慢な部分や現在おかれている状態、幸せさ、自己欲なんかを再確認します。
蹲踞を模した文鎮を持っていて、行けない時はそれを見て思いを馳せるんですね。
こういう精神的な話や己が野望なんかは自分の内に秘めていればいいのですが、ちょっといただけない映像を見てしまったもので。
漢字検定の大久保昇容疑者とその息子の浩容疑者が逮捕されまして。
しかもこの親子、海外逃亡を企てている可能性あったみたいで早く動いたみたい。
そして浩容疑者の過去コメントに『足るを知る』発言出てきて一人朝から憤慨していたからなんですね。
しかも1回使うだけでなく何度も様々な場面で言っている。
下記はプロデュース能力研究会の一昨年の報告の一部。
特定非営利法人であるが故、理想論とか、甘い戯れ事が許され、目的を定めて行動できるというものであるはず。
財団法人は特例財団法人であるが、民法の規定の元設立されている部分、一種の規範となる活動が望まれるものと思っている。
→財団法人は借入金ができない。利潤から投資することしかできない。成長していく時、コストは上がるが利潤がない。そのような状況が平成8~10年の間は続いていた。ビルも現金でなければ買えないため、別会社を設立して借入金を立てた。苦しい中ではあったが優先順位を決めてやってきた。採点は処理が難しいのではなく、スピードが求められることが大変であった。解答を読み取りながら1問ずつ分けるシステムはなかったため、タダで大手メーカーのシステムを借りて特注品をつくった。
現在は余剰も出てきたが、それをどう使うかが重要である。前述の意見広告も、受験者への直接的な影響はない。やる必要があるかというとないものである。しかし、考え方の根本として「足るを知る」ということがある。余剰を自己利益にするか、社会的利益にするかという時、ミッション遂行のために、できることならその余剰を使って取組みを進める。余剰なものをどう使うかによって個人や組織の価値が決まってくる。社会的価値創造に向けて、必要だと思うことはやるように動いている。公益法人として、製品のブラッシュアップだけでなく、足るを知り、何ができるかを考えることだと思っている。
如何にも『自分の信念だ』としている部分に吐き気を覚える。
話によると漢字検定としての行動指針もそう沿っているらしいが。
話中に「余剰にを自己利益にするか・・・」とか間違っても言わないで欲しい。
いくら公益法人であろうとも、個人目的としてのビューが少しでもあるから付け上がってしまうのではないか、この不況下で利己に走ってはいけないよ。
実際横領着手のキッカケや意思実行者は大久保昇容疑者であろうと思われるのだが、もし浩容疑者が信念として本当に心に築いていれば、「親父、そんな強欲に流されるな」とでも言えただろうに。
子は親の背中を見て育つというが、漢字を生業とするこの業界で生きつつ、そういった肝心な『中身』の部分を伝えることはできなかった結果かな、と。
親を見て何を学ぶか。
“我唯足るを知る”精神はそこには無かったね。
これ以上は唯の批判になるんで、あとは司法を見守ります。
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