顔。

2001年11月22日 考察
今日は一歩も外に出なかった。
しかも母が東京へ。
単身赴任の父の元へ遊びに行ったのだ。
バカ妹は相変わらず親が居ないと帰ってこない。
本当に呆れてモノも言えん。
で、誰もいないし外にも出ないので今日は人間の顔を見てない。

少しいろいろな人の顔を思い出してみる。
案外思い出せないモノである。
Keiは昔から人の顔、特に目を見て話せない。
そのせいか顔を覚えるのが苦手なのだ。
なので会話とか人柄で人を覚える。
まぁ、最近は目ぇ見て話す練習したから顔見て話せるけどね。
でもね、やっぱり習性ってのは怖いわ。
顔を見て話すようになっても、やっぱり会話や人格・人柄で人を記憶するクセは直ってないようだ。
実際明確に顔を思い出せる人が一ケタだった。
写真見ると誰だか判る。
でもKeiの頭のよく使う部分には入ってない。
悲しいことだ。
そして思い出せなかった人には顔向けできない。
どうしようもない悲しさが溢れた。

そして大学に行こうとしたら電話がきた。
友達の母親が昨日天に召された。
その友達は女の子で、母親思い。
きっと一番辛いのはその子なのに、気丈に振る舞っていた。
その姿勢に彼女の真の強さを感じた。
それと共に不謹慎にも美しいと思ってしまった。
本当に不謹慎。
俺のダメな所だ。
人をイメージで覚える俺にはよくあるコトなのだ。
その人の一番深い部分、芯の部分を見て、そしてそれが強い場、状況も考えずに感動してしまう。
そんなことを考えながら話しする俺。
自分が許せない。
そのコトで泣きそうになった。
気持ちを判るコトなんかできないけど、せめてその気持ちを汲んであげ、その色がくすんでいるならば少しでも澄んだ方へ手助けするのが本当の優しさ。
同情なんかせず、ましてや俺のように口先だけで、本心は不謹慎にも違うことを考えている−−そうではなく前述した優しい人間になりたい。

随分きれい事を書いているけど、これが理想。
しして現実の俺の姿。
そんなコトを考えてる時点でダメなのだ。
優しくなろうとして優しくなるのは偽り。
どうか俺にも自然にそういった優しさが出せるようになりたい。
その友達にはひとまず考える部分を増やさせたくないので、まさか俺が考え込んでることなんか間違っても伝えられない。
幸いにパソコンを持ってないのでこの文章は読むことはない。
共通の知人も少なく、皆この日記の存在を知らない。
自分の気持ちの整理には最適だ。
なので、今日はふつうに過ごすことに決めた。
Keiは考え出すとぐるぐるぐるぐる考え込む。
なので、いくら友達に電話してみてもメールしてみてもダメ。
実際マリノに電話してみたけど、調子出ない。
やっぱり考え込んでしまう。
朝、起きて『顔』のことを考えていたのもある。
自分は周りにいる人たちの事をどれだけ理解してるのだろう?
本当に自分は受け入れられてるのだろうか?
本当に自分は人のことを考えてあげる程立派なのか?
疑問はつきない。
むしろ増すばかりだ。
かといって結論はまだまだ出そうにないので保留としておこう。
いつか全ての結論を導き出したいと思う。

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