運転中に衝突されちゃった。死ぬ〜・・・
2001年5月5日 日常今日、愛車インテグラに載って軽快にドライブしてた。
運転中真横から追突されるという被害に遭う。
しかもKeiの車の真横に突っ込んできて、もう少しでKeiの妹が亡き人になる寸前だった。
しかもK反対車線に押し出され、対向車がいたら正面衝突といったケースだったので、今生きていることに正直運の良さを感じている。(しかしぶつかられた時点で運悪いか。)
怪我はなかったんだけど、ぶつかってきた相手が一言も謝らない。
50代位のおばさん、完全に非はアナタだろっ!
なのに、「あんた、なんでアタシの前に塞がんだよ?」みたいな視線と態度が出てた。
「きっと自己中なO型だよ」と同じO型で自己中な妹が言っていたのはさすがに苦笑いしかできなかった。
普段、負の感情をほとんど出さないKeiも思わず言葉がこぼれました。
「当ててきた方に謝罪の言葉の一つも出てこないのはどうかと思いますね。人間的にもおかしいことですし、道理をわきまえていないとしか考えられませんね。」
すると同乗者の旦那が「じゃあ、すみませんでした。」と。
って、「じゃあ」ってなんだ!?
俺が謝れと言ったから謝るのか?
違うだろ。
その言葉には誠意というものが微塵も含まれていない。
今Keiが言ったコトが何一つ理解していないっていうか、きっとちゃんと聞いてないんだろう。
確かにKeiは若いし甘く見られてしまうのは仕方無い。
でもアナタ達は立派な大人で社会人だろ?
その社会人がこんな対応・態度はいただけない。
「近頃の若者は・・・」とかよく聞くけど、近頃の若者がどうこうではなく、近頃の日本人の感覚や態度、他人への思いやりや配慮というものが欠落し気味なのではないかと思う。
自分も一日本人として気を付けないと、あのおばさん達の姿勢が明日は我が身になるかもしれない。
自分の大人として、社会人としての自覚をきちんとしなければ、イイカゲンな大人になってしまう危惧をしなければならない。
人はどうであれ、自分は正しい道を通りたい。
だから、Keiは人の痛みを知り、道理をわきまえ、常識人になりたいし、なることも一つ人生の中での大きな目標ではないかと思う。
日々是勉強、正に其の通り也。
運転中真横から追突されるという被害に遭う。
しかもKeiの車の真横に突っ込んできて、もう少しでKeiの妹が亡き人になる寸前だった。
しかもK反対車線に押し出され、対向車がいたら正面衝突といったケースだったので、今生きていることに正直運の良さを感じている。(しかしぶつかられた時点で運悪いか。)
怪我はなかったんだけど、ぶつかってきた相手が一言も謝らない。
50代位のおばさん、完全に非はアナタだろっ!
なのに、「あんた、なんでアタシの前に塞がんだよ?」みたいな視線と態度が出てた。
「きっと自己中なO型だよ」と同じO型で自己中な妹が言っていたのはさすがに苦笑いしかできなかった。
普段、負の感情をほとんど出さないKeiも思わず言葉がこぼれました。
「当ててきた方に謝罪の言葉の一つも出てこないのはどうかと思いますね。人間的にもおかしいことですし、道理をわきまえていないとしか考えられませんね。」
すると同乗者の旦那が「じゃあ、すみませんでした。」と。
って、「じゃあ」ってなんだ!?
俺が謝れと言ったから謝るのか?
違うだろ。
その言葉には誠意というものが微塵も含まれていない。
今Keiが言ったコトが何一つ理解していないっていうか、きっとちゃんと聞いてないんだろう。
確かにKeiは若いし甘く見られてしまうのは仕方無い。
でもアナタ達は立派な大人で社会人だろ?
その社会人がこんな対応・態度はいただけない。
「近頃の若者は・・・」とかよく聞くけど、近頃の若者がどうこうではなく、近頃の日本人の感覚や態度、他人への思いやりや配慮というものが欠落し気味なのではないかと思う。
自分も一日本人として気を付けないと、あのおばさん達の姿勢が明日は我が身になるかもしれない。
自分の大人として、社会人としての自覚をきちんとしなければ、イイカゲンな大人になってしまう危惧をしなければならない。
人はどうであれ、自分は正しい道を通りたい。
だから、Keiは人の痛みを知り、道理をわきまえ、常識人になりたいし、なることも一つ人生の中での大きな目標ではないかと思う。
日々是勉強、正に其の通り也。
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